母国語は自然と話せるようになる、ということ
これを読んでいただいている多くの方が日本人であると仮定して、話を進めます。
皆さんは、日本語で会話が出来るようになるために、何か大きな努力をしたでしょうか?
もちろん、小学校、すなわち義務教育の段階から、定められた頻度で国語の授業があり、そこで様々な勉強をします。当然、テストなどもありますから、いい点を取るために一生懸命努力(勉強)した、という方も多いことでしょう。
ただ、ここで問いたいのはそういうことではなく、日本語を「話せるようになる」ために、自らがあえて意識して継続的な努力を実践したか、あるいは親を始めとする他者に継続的な努力を強いられたか、ということです。
恐らく、ほとんど全ての方の答えが、「否」なのではないでしょうか。
要するに何が言いたいかというと、皆さんはほとんど意識することなく、相応の年齢になれば、当たり前のように日本語で会話が出来るようになっていたはずだということです。
母国語なんだから自然に話せるようになって当然だと、多くの方が考えると思います。ではそれは何故当然なのでしょうか?換言すれば、自然に話せるようになる母国語に対して、英語を始めとする外国語の習得が、一般的に難しいとか、一定の努力が必要とか、そのように考えられているのは何故なのでしょうか?
結局それは、時間の問題であると言えるでしょう。母国語を自然と話せるようになるのは、何年もかけて四六時中その言語に触れ続けているからであって、意識して特定の(生活の中のほんの一部の)時間のみ勉強してきたという訳ではないからです。外国語の習得に努力が必要と考えてしまうのは、一定のレベルに一定の期間で達しなければならないという、暗黙のゴールに対して暗黙の時間制限(も含めた環境制限)が設けられてしまうからです。例えば、3年間アメリカで暮らしていいから、日常英会話が出来るようになりなさいと言われれば、難しいとか、それは出来ないと思ってしまう方は、ほとんどいないのではないでしょうか。
つまり、持って生まれた才能や知能などはほとんど関係なく、誰でも母国語は自然と話せるようになるということは、裏を返せば、時間をかければ誰でも、そしてどんな言語であっても、習得が可能ということです。
もちろんそれは、英会話も一緒。アメリカ人やイギリス人は、みな勝手に英語が話せるようになる訳ですから。
そう考えれば、語学の習得なんてなんちゃないって、少しは気が楽になりませんでしょうか。そうです、決してしゃちほこばる必要なんてないんですよ。
ただ、これは、その「時間をかければ誰でも」というのを、1日10分、24日間でやってしまおうというのですから、ちょっとした秘密があるのですが・・・。